30年ぶりに戻ったら (180) — 大好きな人!
【ジャン・フランソワ】
久しぶりに外出した。駅のホームから目を遠くにやると”Jean-Francois”(ジャン・フランソワ)という看板に目を惹かれた。どうやら喫茶店らしい。
そうか、日本ではジャン・フランソワは喫茶店なのか。
わたしはジャン・フランソワが大好きだった。いや、これはジュネーブの話。ジャン・フランソワは、フランス語圏にはよくある男性の名前だ。
彼は私の住んだシャンシー村の外れにあるガレージ(写真)の主人だった。
わたしのクルマをいつもキチンと整備してくれた。彼の事務所には顧客の車の整備記録が蓄えてある。人にかかりつけ医が必要なのと同様、クルマにもかかりつけのガレージが必要なのだ。
ジャン・フランソワは口数は少なかったが、いつも必要な事をテキパキやってくれた。
特にありがたかったのは、わたしのアパートに泥棒が入り、クルマのキーをハンドバックごと盗まれたとき。泥棒に気づいたのは雪の降る朝だった。
ジュネーブから10キロほど離れた村のこと、クルマが無ければどこにも行けない。
ジャン・フランソワのガレージに電話すると、すぐに代車を持って、店の若い人と一緒に来てくれた。彼のガレージで貸してくれるクルマはどれも古かったが、よく整備されていて困ったことは一度も無かった。
その時も、わたしになにがおきたか、なぜそうなった、などとは一切尋ねなかった。その場ですぐにすべきことをさっさとしてくれた。
泥棒に入られ、ショックで参っていたわたしには、そういう彼の行動が何よりもありがたかった。
本当に困った時、打ちのめされたとき、言葉はいらない、何かを解決に向かって近づける行動が欲しい。気持ちがあるなら、それを行動に変えて欲しい–失業した時も、わたしはつくづくそう思った。
人生は四の五の言わず、その場ですべきことをするのみ。ジャン・フランソワはそれを地で行くような人だった。誠実で、本当に頼りになる人だった。
わたしは、そんな彼が大好きだった。
その彼の名が日本では喫茶店の名前とは、、。
これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。