いつでも?どこでも?だれでも? — 欧州ICT社会読み説き術 (4)
お正月休みを日本で過ごした。1年ぶりの日本である。
私のように、20年以上ヨーロッパで暮らすと、持ち歩くパスポートは日本人であっても、目線はガイコクジン訪問客になる。そういう目でニホンのICTを見ていると、「あれ?」と思うことにぶつかった。
持ち歩くWiFiって便利!
ジュネーブで買ったiPhone。私の契約するキャリアS社の契約更改期まで2年待ってやっと手に入れ、そのスマートさに一晩ではまった。第一、携帯で日本語が使える!欧州に住むと、まず、その便利さが身に沁みる。
出勤途上のトラムなどの隙間時間にWiFiにアクセスして、メールチェック、ファイナンシャルタイムズの日々の記事一覧も見られる。私は、こんな軽くてスマートなキカイが嬉しくて、いろいろ試して楽しんでいた。
お正月帰省が近づくと、今年は何が嬉しいといって、日本にiPhoneを持って行けば、休暇中もメールを見られることだった。今までは一時帰省中はネットとは断絶されていた。親は後期高齢者。家にネットは無い。ジュネーブからラップトップを持参したが、それはオフラインで日々の備忘録に使うだけだった。
今年は違う!iPhoneさえあれば、どこでもネットで繋がれる♪
日本の「公衆無線LAN」て?
ところが、そうは問屋が卸さない、と気づくのに2-3日で充分だった。日本滞在中、いろいろな機会に私のiPhoneをWiFiに繋げるか試してみた。到着した成田空港から始まって、地下鉄駅で、大手情報機器ショップで、立ち寄ったホテルのロビーで。その結果、3週間の滞在中、成功したのは一回だけ。つくばエキスプレス車内とその駅構内だけだった。
初めは戸惑った。私は使い慣れていないので、操作の仕方が悪いためか、電波が弱いためか、原因がよくわからなかった。さすがにここなら、と思って試したKDDI社敷地内の「公衆WiFiボックス」の側でも、ダメ。ドコモ社のWiFiには鍵のマーク。望みをかけたスタバでもダメ。
思いあまって、通りかかったソフトバンクショップで困ったと訴えた。そこでわかった。日本では、「公衆無線LANサービス」「公衆WiFi」と書いてあっても、それがキャリア提供のWiFiの場合は、そのキャリアと契約した顧客でなければ使えないということが。それを知らない私は、ジュネーブでは、街の中心部や空港で自由にアクセスできるので、日本でもそういうものだと思ってしまったのだ。まさにガイコクジン訪問客である。日本の事情を知らないまま、しかし日本語が分かるだけに、「公衆」=「誰でもが使える」と解釈してしまったのだ。
私にも言い分はある。スマホに表示されるWiFiのアイコンに鍵のマークの付いたドコモ社は、これは会員制だなとわかる。けれども、他のキャリア二社のWiFiアイコンには、鍵マークが付いていない。ソフトバンクショップで聞いてみると、鍵の表示はなくても、自社顧客でないと使えない仕組みがあるのだそうだ。そういえば、成田空港もそうだった。空港はキャリアではないが、空港内にWiFi設備があることはアイコン表示でわかった。鍵のマークもない。けれども、私のiPhoneではアクセスできなかったところをみると、ここにも何らかのガードがかかっているのだろう。
日本滞在中、私に気前よくWiFiを提供してくれたのは、つくばエキスプレスだけだった。これこそ公衆サービスではないか。
壁のないWiFiこそモバイル
日本には、「街で使えるWiFi」がきっとたくさんあるのだろう。地下鉄車内で見かけた広告にもあった;「スマートフォンはWiFi使わないともったいないぞ」。けれども、その現実はさほど自由ではない。WiFiの一つ一つはキャリアの壁に囲まれている。日本の中にキャリアの数だけWiFiの島がある。日本に住む人なら、きっとそれで不便はないのだろう。携帯電話を使う以上、どこかのキャリアの顧客なのだから。けれども、どのキャリアの顧客でもない人は、日本中を覆うはずのWiFiの恩恵に、全く与れない。人と通信のグローバル化が日常になった時代に、他国からの訪問客が街でWiFiを駆使できない。東京でさえも。それはマズイのではないか。
キャリアの言い分は分かる。顧客サービス、他社との差別化、セキュリティ保護、など、いろいろな理由があるだろう。それらはすべて、尤もなことである。また、街全体、国全体のWiFiアクセスを保証するのは、一通信キャリアの責任ではないという議論にもうなづける。
けれども、モバイルインフラの整備をキャリア各社の設備投資と市場戦略にのみ委ねていると、こういう矛盾、不便が生じることも事実なのだ。
日本のモバイルインターネットの発展は素晴らしい。だからこそ、日本のモバイル インフラは、WiFiの島の集合ではいけないと思う。現代はそういう時代ではない。
ところが日本中がいつのまにか、そこに住む人だけを向いたインフラで覆われている。「いつでも、どこでも、だれでも」通信できることが、モバイルサービスの理想だったのではないか。
現在のような状態は、「いつでも、どこでも、だれでも」使えるWiFi網になるまでの通過点だと思いたい。今の「公衆」WiFi サービスは、近い将来、キャリアの壁を越えて、真の公衆サービスに発展して欲しいと思う。
掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2012年4月号