30年ぶりに戻ったら (136) — クリスマスの思い出いろいろ

【欧州のクリスマスの静けさが好きだった】

30年前、日本にいたわたしにとって、クリスマスは商店街の歳末大売り出しと、銀座のキラキラ光るベルや星の装飾と一緒にやって来て、なんとなく気持ちのウキウキする時期だった。

カナダに留学した時、クリスマスにはカナディアンのクラスメートが一斉に家族の元に帰省することに気がついた。残されたのはカナダに身寄りの無い、わたしのような留学生ばかり。そういう学生たちと誰かの家に集まって、パーティーを開いた。わたしはひとりぼっちではなかった。

パリにいた頃、同僚たちは一斉に家族の元に帰って行く。わたしは南仏でちいさな宿を営む友人の家で過ごした。そこには、わたしのようにヨーロッパに家族を持たない人たちや日本からのバックパッカーが泊まりに来ていて、一緒にパーティーを楽しんだ。わたしはひとりぼっちではなかった。

シャンゼリゼ通りの照明は豪華だった。

南仏の小さな町や村の通りにポッチリ灯るクリスマスの灯り。それが古い教会や葉を落としたプラタナスを照らして美しかった。

スイスに来て、いよいよパーティを開く友人も遊びに行く場もなくなり、わたしはひとりぼっちとなった。クリスマスと新年を一人で過ごした。

冬のジュネーブの暗い空。1日中どよおおおんと黒い雲の垂れ込める空。こんな日々を猫と二人で過ごすのはかなわんと思い、翌年からお正月休みは日本に帰ることにした。

ヨーロッパのクリスマスは淋しかったけれど、クリスマスの街の静けさは好きだった。ヨーロッパではクリスマスは家族と過ごす日々なのだ。

そしてまた日本。ここでは家族と過ごす時間はお正月に預け、クリスマスは運動会のような季節行事となっていた。サンタとプレゼントが抱き合わせになり、人は誰かに何かを買う季節。サンタとは元来キリスト教の聖人なのだが、日本では子どもにプレゼントを運ぶ人である。あーーここは現世利益の国。神仏に満願成就を祈念する国である。

そういう国際的に見るとどこか感覚のズレた東京のクリスマス風景の中で、人形町はわたしをホッとさせてくれる界隈だ。この時期、ここではそろそろお正月支度のための市が立つ。クリスマスセールなどはどこ吹く風。真っ当に、正統に、江戸の伝統を受け継いでいるではないか。

これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。

12月になるとジュラ山ではスノーシューハイキングが始まる。

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学びのポイント: 世界に「クリスマス」を知らない人はいないと思うが、そこから想像するもの、心の目に映る景色は日本とヨーロッパでは全く異質だ。ほかにもそういうモノは無いか、今日はもう一つ探してみよう。

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