日本がボクを苦しみの底から立ち上がらせたースイスのある青年 (1)
【あなたの「大好き」は何ですか?】
「自分はこれが大好き!」という生き方を通じて苦しみの底から立ち上がった青年がいます。
スイスの若者ラユンさんにとって、その「大好き」は日本のマンガやアニメでしたーーと、それだけなら驚くことはないかも知れません。けれども、ここまでどん底もそこからの這い上がり方も徹底している人は少ないと思います。
あなたの「大好き」は何ですか?
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「オタク?興味ない。自分はそういう人とは友達になれそうもないから。」
私はそう思っていた。
ラユン・ヒューリマンさんに会って、私は自分のモノの見方が狭かったと知った。(写真ラユンさん)
ラユンさんは、チューリヒの公共交通局で働く、25歳の若者だ。
ラユンさんは、「日本は自分の人生を変えた」という。
彼のフェースブックの自己紹介は彼が日本語で書いたものだ。
「オタク文化の喜びを共有する事に情熱を注ぎ、ファンに日本文化を促進するために、イベント組織と共に活動しています。」
ラユンさんは、スイスのどこにでもいそうな好青年だ。日本で言うオタクという言葉にまつわる、漫画や昆虫など、何か一つのことに夢中になるあまり、引っ込み思案な性格とか、ちょっと変わっているというイメージは、彼にはない。
その彼が、自分はオタク、という。
え?なぜオタク?そもそも、なぜ日本に関心が向いたの?
私は、興味のかたまりになった。
アニメから日本を知った。
ラユンさんが日本のアニメにのめり込んだのは、学校でいじめに遭い、苦しみ抜いた10代の終わりだった。
ラユンさんは性格の優しい人だ。スイスでは男の子は強い態度を見せないと、いじめに遭うという。彼は、いじめに耐えきれず16歳で学校を自主退学し、その後、進路を変えて職業学校に入学した。
しかし、そこでも再びいじめに遭うようになり、再び自主退学を余儀なくされた。17歳の時である。
二度の退学に、ラユンさんはすっかり自分に自信をなくした。毎日死にたいと思ったという。
遂に彼はあるクリニックに入院した。
やっと回復し始めた頃、彼は社会復帰を支援するプログラムに参加した。そこで出会った女の子が日本のアニメのファンだったことから、ラユンさんも子供の頃好きだったアニメを思い出し、再びのめり込んだ。
「どうして僕は、アニメを止めたんだ?」と思ったという。
スイスでは、ドイツのウェブサイトから、アニメを好きなだけ見ることができた(ラユンさんは、スイスのドイツ語圏の人だ)。そうして、アニメを通して日本に興味を持つようになり、日本についてもっと知りたくなった。
自分の大好きなものを見つけたラユンさんは、18歳になった時ハラが据わった。「自分の人生を創ろう、いじめに負けない自分になるぞ」と決心した。
彼は社会復帰を試みて、仕事探しを始める。二度の退学と入院歴のある若者に仕事はなかなか見つからなかった。180通の履歴書を送ったという。その中で、ただ一つ、スイス国鉄だけが、見習い社員として3年間働くオファーをくれた。(註:ここでいう「見習い社員」とは、スイス独特の教育制度の一部。職業学校に通いながら、週の大半は職場で働き、必要な技能を身につける。)
ハラを括った彼は、猛然と外国語の勉強を始めた。日本語、英語、フランス語を一度に学んだという。同時に、憧れの日本に行くお金を貯めた。
挫折を乗り越えてフクシマと出会った。
ようやくお金を貯めて日本行きの航空券を買った2011年、思わぬ災難に見舞われる。出発日は、東日本大震災の二週間後だったのだ。フライトはキャンセルとなり、初めての日本行きの夢は潰えた。ラユンさんはこれ以上ないほど、がっかりしたという。
けれども、彼はくじけなかった。そういう自分をなんとかしようと思った。そして、つらさに真正面から向き合った。
丁度、職業学校の卒業研究のテーマを選ぶ時期に来ていた。ラユンさんは、「フクシマの復興」をテーマに選んだ。学校の性格上、本来なら経済や産業に関するテーマでなければならなかった。けれども先生に相談すると、やってみなさいと励まされた。
ラユンさんは、英語と日本語で資料を集め、研究レポートを書いた。それは最優秀作品に選ばれた。
「小学生時代、ゲームばかりしてちっとも勉強しなかった僕ですが、優秀な成績でその職業学校を卒業しました。」と彼は言う。
更に自信を得たラユンさんは、「自分はもっとできる。」と思った。そうして、再び日本行きを志した。
2011年12月、ラユンさんは、遂に日本行きを果たす。真っ先に訪れたのは仙台、そして福島だった。その計画に両親は大反対したが、自分はあなた(福島の被災した人々)のことを考えているということを、行動で示したかったという。
福島では、原発被害による立ち入り禁止区域から2キロの場所まで行ってみた。涙が止まらなくて、2時間だけそこにいて東京に戻った。
彼は今でも日本に行くと必ずお見舞いの品を持って福島の被災地を訪れ人々を励ましている。
ラユンさんにとってのオタクとは
ラユンさんは、アニメをきっかけに、オタクを知った。学生時代にスイスの“漫画フォーラム“で知り合ったアニメ好きの友人が、「オタク」といわれる人々のいることを教えてくれたのだ。
ラユンさんにとってオタクとは、「自分が情熱を傾ける“何か”に対し誇りを持つ人々」と映った。彼はそこに、アニメを好きになることで本来の自分にコネクトし、立ち直った自分と同じものを感じた。
そんなラユンさんだから、初の日本旅行では、仙台、福島の後に東京コミックマーケット(コミケ)を訪問した。(註:東京コミックマーケットは、世界最大の同人誌即売会。例年8月と12月に開催される。漫画、アニメ、ゲームを始め、現代日本の様々なポップカルチャーが一堂に集う場となっている。ウィキペディアより抜粋。https://ja.wikipedia.org/wiki/コミックマーケット)
以来、彼は何度も日本を訪問し、オタクの同好の士と友人になり、コミケの常連となった。日本に行くたびにアニメに題材をとったポスターや、タオル、枕など色々な“グッズ”を買い、自分の部屋をアニメだらけにした。それを写真に撮ってウェブサイトに載せたら、いつの間にか「スイスのオタク」として、日本のオタクの間で有名になっていた。
ラユンさんはオタクをどう考えているか、ここで彼の言葉を引用しよう。
「僕はオタク人生を楽しんでいます。オタクとは、自分の大好きなことを持っている人のことです。僕は日本のアニメのイラストが好き。そこにイラストレータのパッションを感じます。技術もアートセンスも素晴らしい!」
「僕は、日本で『スイスのオタク』、『美少女ゲームをするスイス人』として有名になり、オタクたちのチャットにも登場するようになった。
やがて彼らは、僕を日本のオタクと比べるようになりました。
けれども、そういうことは、僕は嫌いです。それは、他人を自分の価値で判断することだからです。
僕はレッテルを貼られるのはいやです。
自分の好きなことを好きでいるのは、何も悪くない。そのままの自分でれば良いんです(Be yourself)。そう思ったとき、『よし、僕は日本のオタク文化を変えよう。』と決心しました。」
僕のしたいこと
そんなラユンさんだが、日本社会でオタクは必ずしも良く思われていないことを知っている。偏見にも気づいている。
彼自身、日本のオタクは自分の良いと思うことをやり過ぎる、と感じることがある。キモイ格好で秋葉原を練り歩くなど、これはどうかという行動をとるオタクもいる。彼、彼女たちは他のオタクや一般の人々の注意を惹きたいのだろうが、それもまた、他の人に自分の価値を押しつけていることになっていないかと思う。
だが、ラユンさんは、時にはそういう奇異な行動をとるオタクの内心もまた感じ取っている。日本のオタクは、人を、社会を、現実の女の子たちを恐がっているんじゃないだろうか、と。彼らは孤独なのだ。
ラユンさんは、それを変えたい。彼らが、自分の値打ちを自分で受け入れ、認められるようになるようになって欲しいと思う。
再びラユンさんの言葉を借りよう。
「僕はオタクである喜び、つまり、何か大好きなことがあるという生き方を通じて、日本の人達を力づけたいと思います。自分の価値を自分で認められるようになって欲しい。小さくなる必要は無いと気づいて欲しいのです。」
ラユンさんは、その気持ちをすぐに行動に移した。彼はツイッターなどSNSで毎日自分を語っている。彼は「自分はこうだ、こう思う」と語るが、他の人に自分のようにしなさいとは言わない。
ラユンさんは、自分は新しいオタクのモデル(ありかた)だと思っている。ツイッターで「スイス大使ラユン」と自分を名乗るのはそのためだ。
ラユンさんにとり、日本人は、オタクを通じて、なにか大好きなことを持っていることの喜びを教えてくれた人達だった。彼はその喜びを他の人達にも分かって欲しいと思う。その為に、日々行動している。人や社会に文句を言うだけでは物事は変わらない。行動すること、自分に出来ることだけで良いからーー彼はそう考える。
「自分の夢を大事にして、自分の歩いてきた道を大事にして、諦めないでください。」というメッセージで、ラユンさんは話しを結んだ。
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