30年ぶりに戻ったら (123) — あなたはお土産を買う、買わない?
【厚意はお土産に関係ない!】
先日旅行した石巻でわたしのしたかったことの一つは、白謙の笹かまぼこを買って帰ることだった。
わたしは今まで、笹かまぼこにこだわりを持ったことは無かった。
ところが数ヶ月前、仙台に住む友人の勧めで、仙台駅で白謙の笹かまぼこを買ってみた。これがなんとも美味しい。かまぼこなのに、ふわあっという独特の食感が忘れられなくなった。白謙というそのメーカの名前とそれが石巻にあることを知り、石巻に行く機会を手ぐすね引いて待っていたのだ。
白謙の本店では多様な風味の、新鮮な笹かまぼこがわたしを待っていた。目が眩みそうになった。このあたり、海鮮に全く恵まれないスイスに長く住んだ感覚がまだ抜けていないと自分で思う。(スイスの人たち、ゴメンなさい🙇♀️)
思わず、自分の分だけ買って帰るのは勿体ないと思い、近所でなにかとお世話になっている方たちの分も買った。美味しいものは分け合いたかった。
ところで、このように旅先で誰かにお土産を買うなんていうことは、わたしには全く珍しい。
わたしはお土産を買う習慣をいつの間にか失っていた。ヨーロッパに来て数年はお正月に日本に行く前には家族や友人にあれこれお土産を買ったものだった。それもいつしか消えた。
ヨーロッパには、日本のようなお土産の習慣が無いのだ。誕生日にプレゼントを贈る習慣はある。しかし、ちょっと旅行に行ったからといって、半ば義務のようにお土産を買う習慣は無い。
「私たちはギフトはいらない。あなたの留守中に、あなたの猫に餌をあげていたのは、私たちの厚意なんだから」ーー以前、友人にそう言われたことがある。
その時ハッとした。わたしは御礼のつもりでお土産を買って帰っていたのだが、彼女たちにしてみれば、自分たちの厚意に対価を付けられたように感じたのかも知れないと気がついた。
お土産も、ましてや対価も期待しない厚意、これは全く純粋な厚意ではないか!
そんな素晴らしいものを受け取っていたことに、わたしは気がつかなかったのだ。
これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。
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学びのポイント: お土産などなくても、あなたを手伝いたい – こういう純粋な気持ちを、なまじお土産の習慣があるばかりに忘れてしまいそうになる!気を付けよう、気持ちを贈る方も、受け取る方も。
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