30年ぶりに戻ると (170) — 日本語が通じて良かった!
【日本語でこんなことを説明して貰える幸せ!】
あわやお陀仏!までいったマックを担いで銀座のアップルストアへ。
ジニアスバーのマットさんが担当してくれて、丁寧にマックの不具合の分析をしてくださる。
ところがわたしときたら、わかったのは「バッテリーの調子が、、」ぐらいまで。
「機会の故障とソフトウェアの、、」「ソフトウェアの入れ替え、それでもだめなら、、」
訳のわかっていないわたしに分かるように、彼は忍耐強く、いやな顔一つせず、説明してくれる。わたしには、そんな彼がありがたくてたまらなかった!
ジュネーブでは、この一連の説明を全部フランス語で聴いていた。
そうするほか、無かった。
ジュネーブにはアップルストアもジニアスバーもあったが、
肝心のジニアスがそこにいなかった(と思う。わたしはここでろくな経験が無いので。ジュネーブのアップルストアのジーニアスさん、違っていたらゴメンなさい)。
そして当たり前だが、そこでは誰も日本語はおろか英語も話さなかった。
それに比べたら、日本語でこんなことを説明して貰えるのだ。
ありがたいと思いこそすれ、わからないというストレスなど無い。
これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。
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学びのポイント: 今、日本語の分かる人が周りにいなくなったとしたら、と想像して見よう。そして、あなたの身近に自分の母語の使えない人々がいるかも知れない、と思い巡らせてみよう。そういう人々のために、あなたは何をする?
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