30年ぶりに戻ったら (110) — 「いただきます」は私の依り代(よりしろ)

【30年間変わらなかった「いただきます」】

あなたにも、食事の前に「いただきます」と言う習慣があるのではありませんか?

私はヨーロッパで、家にも職場にも日本人のいない環境に30年住んだが、「いただきます」と言って手を合わせる習慣は抜けなかった。これを言わないと、食事ができないのだ。何か大事なものを欠かしたような気がして、こころがひどくざわつくのだ。

ヨーロッパの友人たちと食事をするときは、「いただきます」と一人で小声で言って心の中で両手を合わせた。

それをめざとく見つけた友人に、「よしこ、それなに?」と聞かれたことはよくあった。私の答えはいつも同じ、「これは日本の習慣なの。この食事を用意するために関わった全ての人々に感謝するのよ。季節の神、漁師に農民、食材を運んだ人々、売買した仲買人、小売商人から料理した人まで、ぜーーんぶ!」

友人たちは決まって感心し、日本には素晴らしい習慣があるのね、と言ってくれた。

その度に私は少し鼻が高かった。

「いただきます」は素晴らしい言葉だと私は心から思う。

フランス語圏では食事を始めるとき、”Bonne appetit”と言う。けれども、それはテーブルを囲んだ人々に宛てたメッセージだ。楽しい食事を祝福する言葉だ。

方や、「いただきます」は、感謝のメッセージだ。今一緒にいない農漁民、商人への感謝ばかりか、食物を私たち人間に与えてくれた自然、つまり神にまでも宛てたメッセージである。「いただきます」は、食事をする度に、自分はこう言う人々と共に生きている、助け合っていると感じさせてくれる。

30年間変わらなかった、「いただきます」と言って両手を合わせる習慣は、文字通り私の心と体に染みついている。本当に不思議だ。

つまり、私にとって「いただきます」は日本人としての自分に立ち帰る場所、つまり神の依り代のようなサインなのだ。

これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。

御幣を氏子の家に奉じる夏の例祭、検見川神社、千葉県

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学びのポイント: 困ったことには真正面から向き合おう。今まで見えていなかったことが見えて来て、再び道が拓けてくる。

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