30年ぶりに戻ったら (102) — 外国語の外国語
【やっぱりお互い様だった】
私は30年間外国語の中で暮らしたが、「外国語の外国語」は難関だった。
例えば、この固有名詞 → 北京、天安門
あなたは何と読みますか?
ぺきん、てんあんもん だったのでは?私もそうだった。
30年前にパリで仕事は英語、暮らしはフランス語を使う日々を始めた頃、丁度天安門事件が起きた。
英語人の同僚たちの話題に「チェンナンメン」という固有名詞らしい言葉がしきりに入る。それが、天安門 を指すと分かるのに数日かかった。
「ベイジン」は、米人ではなく、北京 だった。
フランス語人の言う、「ペカン」の方がまだ見当が付きやすかった。ふう。
英語人の友人と絵の話をしたとき、彼女は「私はファン ゴーグ が好き」という。
「は?」
それは、私にとっての ファン・ゴッホ のことだった。
英語人は、そもそもParisを 「パリス」 と発音するではないか! 英語もフランス語もアルファベットを使う原語だ。だから、いとも易々と自分の言葉のとおりに発音してしまうんだろうね。
その点、日本語は大したものだ。アルファベットを使わない分、原語に近い音をカタカナに置き換えて発音している、、と威張りたかったが、諦めた。日本人は「天安門」を てんあんもん と言うんだもの。お互い様である。
これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。
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学びのポイント: どこが外国か、何語が外国語かは、あなたがどこに視点を置くかによって変わる。自分にとっての外国は、他の誰かにとって自国だ。
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