30年ぶりに戻ったら(113) — 道標との正しい付き合い方、いろいろ

【道標にも出る、無くて七癖】

スイスに住み、山を歩く楽しさを覚えた。といっても本格的な登山ではない。スイスの登山は岩登りと同義だ。これはノーサンキュー!私の好きなのは野歩きだ。
山野には事欠かないスイス、黙々森を歩く、せせらぎをヒョイとまたぎこし、また歩き続ける。こうしてひたすら歩くのはほとんど瞑想だ。そうやって時々心の掃除をした。
山野を歩くとき、私は5万分の一の地形図を持って歩いたが、スイス、特にドイツ語圏のスイスでは標識がよく整備されているので、地図がなくてもそう不便はなかっただろうと思う。
車道や高速道路の道標も同じ。スイスではよく整備されていた。
こういう国の人々は公徳心が強くなるわけである。
フランスではそうはいかなかった。
フランスの山の中でハイキングに行った人々とはぐれ、ローヌ河の流れる方向だけを頼りに心細いまま1時間ほど歩いたことがある。たった1時間と笑うなかれ。うっそうとした森の中、足下は悪い。ハイキングコースとはいえ道標は無いか、あってもどの方向に行けばいいのかわかり難くできている。そういう状態の1時間は怖かった。
道路標識も然り。
私はパリに住んでいた頃、夏冬の休暇などに友人たちとよくドライブしたものだった。地図を持参していたがよく道を間違えた(当時カーナビは普及していなかった)。断っておくが私は方向音痴では無い。
そして悟ったことがある。フランスの道標は、その地域の土地勘のある人のためにある。新参者は何度も道に迷い、その経験を通じて土地勘を養っていくのだ。その地域でクルマを乗り回すために必要な土地勘が私にもできる頃、夏のバカンスは終わりとなる。
こういう国の人々は自立心が強くなるわけである。
日本はどうなんだろう?私は日本で山を歩いたことが無いので、日本の道標のことは分からない。
だが、なんでも丁寧に細やかにものごとを進める人々だ、例え3mおきに道標が立っていても私は驚かないぞ。
これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。

朝日の当たるアイガー北壁

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学びのポイント: 道標だって公平中立では無い。その国の文化が現れる。

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30年ぶりに戻ったら(113) — 道標との正しい付き合い方、いろいろ”へ2件のコメント

  1. 寄本 義一 より:

    こんにちは。今年も、とても面白い話題をたくさんありがとうございました。私は、若いときに、毎月のように山登りをしていましたが、地方自治体が道標を作るというのは、あるかもしれませんが、その山を愛するグループ、あるいは個人がボランティアで道標を作り、管理しているようでした。ですから、山によって、道標のスタイルはまちまち、よく管理されているところもあれば、けもの道に迷い込むこともあり、頂上に達することなく、枝を折りながら来たしるしを確認しながら、道を引き返すこともありました。浅間山などの火山、例えば信濃追分からの登山では、岩がごろごろしていて道標が作れないので、岩に黄色いペンキで○が書いてありました。日本人は、このルートが正しいとわかるのですが、外国では、×なんですかね。何か標準化もあると良いですね。良いお年を。ありがとうございました。

    1. Yoshiko KURISAKI (栗崎由子) より:

      山歩きがお好きだったんですね!わたしも好きでした。
      スイスでもガレ場などでは岩に道しるべのマークが付いていたことを思い出しました。コースの難易度により、マークが3種類会ったと記憶しています。
      今年も拙稿をお読みくださり大変ありがとうございました。そういう方がおられると知るだけで、とても励みになります。
      どうぞよい新年をお迎えくださいますよう。

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