30年ぶりに戻ったら (116) — 好きな食べ物って、結構保守的
【だからこそ、好きな食事は外国で暮らすエネルギー源だ】
カナダで留学中の時のこと、英国人の友人ローズと、たまたま彼女を訪ねてきていたその妹さんと3人で、トロントの鮨屋に行った。
当時のトロントには、日本人で評判の高い鮨職人のいる店が一軒あった。奨学金と貯金をはたいて留学していたわたしには滅多に行かないような店だったが、ローズが珍しい食べ物で妹をもてなしたいと言ったので説明役を引き受けたのだ。
ところが、妹さんは鮨も何もかも、日本料理が口に合わない。
“It’s awful!”(ひどいわこれ!)をテーブルで連発する彼女に普段はお人好しのわたしもゲンナリした。ローズはわたしに申し訳なさそうな顔をするばかり。
数日後、アイリッシュのジェラルディンが家で夕食をご馳走すると言って、ローズとその妹さん、それにわたしを招いてくれた。
ジェラルディンは大鍋一杯に煮込み料理を作って待っていた。料理はその一品だけだった。
一品でも良いが、それは私の目にはマメも野菜も肉も細かく刻んでひたすら煮込んだだけの、どうということのない料理に見えた。素材の味を生かすどころか、色彩も味覚もあったもんじゃなかったーーと、思えた。(ジェラルディン、ゴメン!)
ところがである。件の妹さんはこの料理にいたく感激しているのだ。
「美味しいわ」「美味しいわ」と涙を流さんばかり。
あーーこの子にとっては自分の慣れ親しんだ料理が美味しいのね。
当時彼女は20歳になったばかりだったと思う。
知っている料理しか口に合わないなんて、この子は自分で人生の幅を狭めていないか?ーーと当時のわたしは思った。
だが、後年わかったことだが人はこと食べ物に関しては人は年齢に関係なく結構保守的なものらしい。
後年自分もそうなった。
例の妹さんの様にぐちゃぐちゃの煮込み料理が恋しいとは言わないが、パリに住んで2-3年経つと友人と外食するのにもうフランス料理の店を探検しようとは思わなくなった。代わりに中華料理を食べに行くようになった。特に気持ちが疲れたとき、ガッツが落ちたときにはそうだった。お箸で熱々の酢豚や水餃子を口に入れるだけで、元気が回復するようだった。
日本料理に行かなかったのは、値段のせいである。中華に比べ、和食は値が高くてその割には満足がいかず、つまりコスパが悪かったのだ。
これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。

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学びのポイント: 胃袋は正直、気持ちが疲れたときには慣れ親しんだ味が恋しくなる。ということは、胃袋が適応すれば、あなたはその土地で生きていけるのだ。
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