30年ぶりに戻ったら (125) — 夏服と秋の陽のちぐはぐな日々
【しかし、ヘンな気分だ】
今年、秋分が過ぎても関東地方は日中は30度近くまで気温が上がる日々だった。けれどもさすがに真夏の蒸し暑さは去り、朝夕は空気がさらっとして心地好くなった。
こういう気候はありがたい!ヨーロッパの夏の服が着られる。
わたしの住んだアルプスの北のヨーロッパにも夏服はある。袖無しの服も着る。しかし、それらの服は日本ではなかなか出番が無かった。
湿度だ。
ヨーロッパの夏服は、袖無しのワンピースでも裏地が付いていることはよくある。湿度の高い日本でそれを着ると、わたしは途端に背中にベッタリ汗をかいてしまうのだ。そういうつくりだから、例え袖なしの服でも日本の関東地方では暑くて着られなかった。
それが、今年の秋はいつまで経っても暑いが空気は秋らしく乾燥してきた。そこでヨーロッパで着ていた夏服の出番が回ってきた。
しかし、ヘンな気分だ。服装と日没時間とがちぐはぐなのだ。
パリでは6−7月なら夜9時を過ぎても戸外でテニスを一試合できた。一ゲームでは無い、一試合である。それほど明るかった。今日本でわたしの着ている夏服はそういう日の長い季節の服だった。
日本でも秋分を過ぎてから日没が少しづつ早まってきた。秋の陽はつるべ落としという言葉を思い出す。
ところが、日中は30度近くまで上がるので、着ている服は夏の服。
いやーーーこんな季節の巡りもあるのかと思って、やり過ごすほか無い。
日没といえば、いつか友人のナタリーの言っていた言葉を思い出す。バカンスでスリランカに行った彼女がジュネーブに帰ってきた直後だった。
「スリランカでは、陽がストンと沈むのよ!」
パリ育ちのナタリーにはそれが驚きだったのだ。パリの夏ときたら、日はなかなか沈まない。夜10時頃になってやっと陽が翳ってくるのだから。
パリに来た当初、天気予報で「今夜は晴れです」と言うのを聞いたとき、わたしには訳がわからなかった。あのいつまでも暮れない長い夏の陽を経験して納得した。
これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。

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学びのポイント:気候が丁度良くても日没の感覚が全く違う。気候と生活習慣の感覚は体が覚えているのだ。
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