65/70の日々 — 「集団学習」てあり?
【勉強はひとりでするもの?】
宿題の採点をしている。といってもテストでは無い。教科書のテキストを書き写す、テーマは夏休み。テキストの中にところどころ設けられた空欄は、自分の経験を書いて埋める、というもの。
さて、初めの1枚を見てあまりにもできが良いので、感激!
「いやあーーこの学生は実はこんなに作文のできる子だったのね!」😊
幾つかのおかしな構文や文法の間違いを直して、”Excellent!”と記入する。
ところがその後、次々に全く同じ作文がズラズラ続いて出て来たのだ!
間違いの箇所もスペルミスも全く同じ。😳
ははーーん、この界隈に座っていた仲良しグループは、誰かの解答を見て全員が写したな。
さっき答案に書いたばかりの”Excellent!”は線で消し、”OK”に変更する。
次々に作文を見ていくうちにわかってきた。ここにはどうも二とおりのパターンがある。🧐
夏休みに、ナントカという街に家族で行った、というパターンと、カントカ海岸に行ったというパターン。しかし、後半は大差ない。どちらもエデンホテルに泊まり、一度は家族で夕食においしい海鮮料理を食べている。
違う国から来た学生は、ベトナムの仲間に入っていないためか、どうも別のところから引用しているらしい。
どちらにしても、自分の頭で考えた回答でテキストの空欄を埋めていないことにかわりはない。
わたしは考え込んだ。
それでも彼女たちは、英文テキストの書き取りをやってきている。わたしの指示通り、3回書いてきている。ということは、わたしの意図したものではないにせよ、何かを学んでいるのだ。
そしてなにより、彼女たちは全く真面目にこれが宿題の意図だと思っているのだ(としか思えない)!
「勉強は一人でするもの」、「自分の頭で考えなければ学びにならない」、というわたしの思い込みは、こうして今日もまた覆されたのだった。
集団で助け合いながら(答えを写し合いながら)宿題をやってこようが、一人で考えて独自に作文してこようが、なにがしかの生きた英語を学んでいる。学ぶものは違うかも知れないにせよ。そしてわたしの授業の目的は、英語とは使うものだ、人と話してナンボだ、ということを体験し、できればそういうことを面白がって貰うことにある。
なら、これでいーじゃん!
わたしは教育の専門家では無いから、こんな学びにどういう名前を付けていいのかわからない。でもまあ、「集団学習」と言ってもいい、こんな学び方があるのではないかとは思うのだ。
こうして、次の答案もまた同じ箇所を直せばいいのでドンドンはかが行く。しかし同じことの繰り返しなので、そろそろ飽きてきたのでもあった。
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