30年ぶりに戻ったら (122) — 「自分は知っている」という思い込みを外そう
【成田山表参道って凄い!】
わたしは自分は成田山を知っている、と思っていた。
以前、高校や大学の受検合格を祈るための初詣に行った。一度は、当時成田に住んでいた友人に誘われて夏祭りに行ったこともあった。名物と言えば、羊羹とウナギ。珍しくもない。こんな訳で、成田山はわたしの好奇心をそそる場所ではなかった。
それは自分の思い込みだったと、今日気がついた。
新勝寺に続く表参道が、ここは川越か?と思わせるほど江戸時代にタイムスリップさせられるものだとは!
時代劇の撮影にそのまま使えるような町並み、古い旅館のたたずまい。こんな景色はわたしの記憶になかった。
そのはずだ、ここの初詣は日本有数の人出で有名だ。参道一杯に埋める人々の流れに乗ってやっとのろのろ歩ける。そんな時にばかり行っていたから、両側の古い建物を鑑賞する余裕などわたしには無かった。
いや、そもそも半世紀近い昔のこと、子どもの私にとってそんな景色は興味を惹かれるものではなかったのだ。
今はどうだ?
昔のままの赤い郵便ポスト、木造三階建ての威風堂々とした旅館、和太鼓の製造販売店や酒蔵、私に取って、興味尽きないものが次々に現れる。30年ヨーロッパにドップリ浸かった目で見る日本は、外国人観光客のそれと同じだ。
そういえば、わたしはそれと逆の経験をヨーロッパでしてきたのだった。
パリにいた頃、日本から来た友人が、日本で紹介されて有名なお惣菜屋やパン屋を喜ぶ。その土地の人の私に取っては、そういう店にはトンと関心が無かった。そういう場所に出かけて行かなくても、自分の家の近所に、また町中に美味しいパン屋やお惣菜屋があったからだ。わたしはそういうパリ暮らしの豊かさが好きだったが、観光でパリを訪れた友人にはそれは興味のあることでは無かっただろうな。
スイスで初めに住んだアパートの地下には核シェルターがあった。ここがわたしの名所案内の目玉だった。ジュネーブにわたしを訪ねた友人たちとエレベータで地下に降り、50センチぐらいある分厚いコンクリートの扉を見せると、それだけで友人たちは大いに感心し喜んでくれた。
こういう設備は、スイスのアパートならどこでもあるものなのだが。そういう白けは、そこに住む者と訪問者との温度差というものだろう。
現にわたしは今日本で観光客をやって、そこに住む誰かを白けさせているに違いない。
これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。
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学びのポイント: 「自分は○○を知っている」という思い込みは手強い。あなたも、今日、一つ見つけてみよう。
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