30年ぶりに戻ったら (129) — 外国の報道を通して見るオリンピック&パラリンピック

【退屈なほど公平、でもそれが良いスイス】

秋晴れの代々木公園を抜けて、今日は東京2020の研修に行って来た。フィールドキャスト、つまりボランティアの研修があったのだ。

わたしみたいなボランティアが8万人からいるという。ひゃーーー!さすが日本は人口が多い。これ、スイスの人口の約1%の数だよ!😳

この研修は盛りだくさんで結構面白かったのだが、ボランティアもまた大会運営の動力源として扱われているところが面白かった。最近は、こういう「みんなでもりあげよー!」という間イベントマネジメントが潮流なのだろうか。こんなチャチャはともかく、表舞台に出ない人々があって初めて表が引き立つ。どんなひとも人材として大切にするのはいいことだと思う。ただの人手じゃ無いというメッセージを感じた。

わたしはパリでもジュネーブでもオリンピックイヤーを何度か過ごした。

フランスのテレビは、フランス人選手がご贔屓、続いて西ヨーロッパの選手、そこには普段は仲が良いとは言えない英独も含まれた。女子水泳だったろうか、あるとき日本選手が金メダル、フランス人選手が2位だったことがある。フランスのテレビを見ていると、優勝した日本選手の名前など言わず、petite japonaise(日本人の女の子)で済ませ、もっぱら銀メダルを取ったフランス人選手の報道ばかりしていた。

日本だったらきっとその逆の報道をするだろうーーそう思いつつも、外国に住んで立場が逆転してみると、オリンピックに顔を出すナショナリズムをなんだか嫌味に感じてしまって。わたしは異国でひとり白けていた。

その点、スイスのオリンピック報道は面白かった。

退屈なほど公平なのだ。

どの競技も、どの選手も同じぐらいの時間を放送する。解説は少ないことが多い。

冬のオリンピックはともかく、夏のオリンピックではスイス選手が金メダル争いに絡むことは少ない。従って依怙贔屓をしようにも、その対象が少ない。その上に、厳しいほど平等を要求する国民性。だからここまで徹底して公平でいられるのではないだろうか?これは私の根も葉もない仮説だが。

スイス選手だって金メダルを取る。ロンドン オリンピックの馬術競技では障碍飛越でスイスのS. Guerten選手が金メダルを取った。スイスにとっては大きなできごとだったはずだ。しかし特に目立って大きな報道は無かった。これがフランスや日本だったらそうはいかないだろうと思うと、なんだかこの徹底した公平なオリンピック報道がかえって小気味よかった。

これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。

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学びのポイント:外国に住むとその国のナショナリズムが排他的な性格を持つことが実感として分かる。スポーツを通じて国境を越えた友情と理解を育む目的で始まったオリンピックに、国別のメダル獲得競争をあおるような報道は、オリンピックの精神に逆行するのではないか?

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