30年ぶりに戻ったら (139) — この国の安全さは神様公認だったのか!

【初詣に行くとやはり出くわしたこの国の安全さ加減】

初詣の人々で混み合うある神社。そこに見張りもつけずに置いてある絵馬の箱。

新年からやっぱりビックリさせられるこの国の安全さは神様公認だったのか!(写真)

神様公認の安全

 

なぜ、この神社の宮司さんは人々がこの木の箱に500円玉を入れると信じられるんだろう?

10円や100円を入れる人はいない?ーーやっぱりいるだろうなー。

お金を入れないで絵馬だけ持って行き、ちゃっかり願い事を書いて神様にお願いする人は、いない?ーーそれもいるだろうなーー。

今時りっぱな、ちゃんと木でできた絵馬。それをこんなやり方で販売、じゃなかった、初穂料をいただいていいのだろうか?

いいらしい。あーー寛大な神様!

わたしは、キチキチお金を取るべきだと言っているのではない。お金を払えない人もいるこの世の中、財力に応じて気持ちとしてお金を払えば、もとい、初穂料をお払いすれば良いと思う。

でもここまであっけらかんと無人販売をする光景を目にすると、やはり感激するのだ。あーーーこの国では安全と信頼はあってアタリマエ、空気のようなものなんだ。

これに似たことはヨーロッパにもある。

例えば教会で開かれるコンサート。事前にチケットを買わないものが多い。そういう時、出口に箱が置いてある。聴衆は、自分に納得できる金額のお金をそこに入れて音楽の余韻と共に教会を出て行くのだ。お金を払わないで出ていくのもアリである。音楽の受取手の判断に任されているのだ。

わたしも一度そういう集まりを経験した。それはある映画の上映会だったが、わたしは出口でお金を入れる箱を持つ係だった。金額はいろいろだったが、お金を払わないで出ていく人はいなかった。その時、「へー、ヨーロッパってこうなってるのか」と思ったものだった。

大英博物館もそうだった(今は変わったのかも知れないが)。入場券は無く、入るときに各自が自主的にお金を箱に入れるようになっていた。わたしは当時は収入があったし、この博物館を運営する人々に感謝する気持ちでなにがしかのお金を箱に入れた。わたしのある友人は、当時収入が低かったのでお金を払わないで入場したが、べつにそうだからといっておどおどすることも無かった。

しかし、わたしが神社で見た絵馬の初穂料とヨーロッパの例は根本思想が異なっているように思える。定価があるものに対する支払を求めるのに、払い手を頭から信じてかかるシステムと、方や払い手の判断に委ねるシステム。

ルールがあればそれに黙って従う習慣と、ルールは無いからあなたが考えてね、と言われて自分で判断する習慣、とも言えようか。

これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。

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学びのポイント: この絵馬箱のようなことは発想の違う人から見ると大きな驚きだ。今日は良い悪いの判断は一旦脇に置き、発想の違いについて思いを巡らす日に。

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