30年ぶりに戻ったら (137) — 総門を出て一礼
【清々しい姿】
夏の終わり、成田山新勝寺の総門で偶然見かけた風景を忘れられない。
折しも総門を出て来た年配の男性が、振り返って本堂に一礼、それからまたもと来た参道を歩き去った。
彼のそういう姿を誰が見ているわけもない。こういうお作法はそれほどこの方にとって自然だったのだろう。
この方のお姿に、人知の適わないところにある何かを敬う敬虔な御気持ちを感じた。
ペルーの山中で似た経験をした。
クスコからマチュピチュに行くグループツアーの途上だった。早朝クスコを発ったバスは、休憩のためにアンデス山中の小さな村に立ち寄った。そこでは市が開かれていた。
村人が自家製の織物や野菜などを持ち寄る。
わたしはある陶器の露店で、小さな深皿を一つ買った。模様が気に入ったので誰かのお土産にしようと思ったのだ。
代金を渡してそのお皿を受け取った時、その質素な屋台の女主人は私の方を見て十字を切った。
え?と思い訳を尋ねると、
「あなたは今日初めてのお客さんだからです」と言う。
ああ、この地方の人々は、朝一番のお客は神が遣わしてくれたと思っているんだな。
神であれ仏であれ、人知を越えた存在と共に生きる人の作法は美しい。
これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。
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学びのポイント: 謙虚な気持ちは立ち居振る舞いに表れる。あなたの振る舞いにもきっとそれは表れている。
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