手作りオルゴール ー ディジタル時代に際だつ職人技、欧州ICT社会読み説き術 (20)
スイスはオルゴール発祥の地である。オルゴールの元祖は、14世紀から始まったという、カリヨン(時計塔に組み込まれた鐘)だった。その後、19世紀末に音の部分が時計から独立し、現在のようなオルゴールが誕生した。スイス製のオルゴールは、今もすべて手り。その心に響く音色は、世界中の人に愛され続けている。
ディジタル機器、ディジタル音楽全盛の時代に、伝統技術の粋、オルゴールは、どういうありかたを見せているのか?筆者は、世界最古のオルゴールメーカー、リュージュ社(スイス)の社長、クッパーさんにお話しを伺った。
世界最古のオルゴールメーカー
現在、オルゴールを生産する会社は、世界に三社だけ。中でも、スイスのリュージュ社は、150年という最古の伝統を持ち、スイスのみならず、欧州唯一のオルゴールメーカーでもある(他の2社は日本と中国)。オルゴール技術の発祥したジュラ山中にある、本社を兼ねた製造工場では、熟練の職人たちが、小さくて精密な個々の部品製造から、オルゴール組み立ててまでを行なっている。音の調整も、人の耳で行なう。
このディジタル音楽全盛時代に、なぜ今も機械式音楽なのか?多くの産業の製造ラインがコンピュータ制御で行なわれる時代に、なぜ、人手による生産なのか?リュージュ社にとりイノベーションとは何なのか?リュージュ社の社長、クッパ-さんにお話しを伺った。
伝統と新しい技術の架け橋
栗崎:リュージュ社のオルゴール製作に、ICTは使われていますか?
ク氏:リュージュ社は、伝統技術と新技術の架け橋でありたいと思っています。例えば、お客様に、ご注文されたオルゴールの音を確かめて頂くためにMP3を、オルゴール箱のデザインには、3Dデザインシステムを使っています。また、人の耳には聞き分けられない微細な音の調律にも、ICTシステムを使っています。
けれども、オルゴールの心臓とも言えるムーブメント制作工程に、ICTは一切使っていません。
オルゴールの生み出すのは、芸術と感情の接点です。お客様に喜んで頂ける最良のオルゴールを作るために、私たちは、伝統技術と新技術との最適なバランスを、常に見つけて行かなければなりません。
伝統にこだわる理由
栗崎:製造業にもICT導入が進む時代に、なぜリュージュ社は、伝統的な生産工程を続ける道を選んだのでしょう?
ク氏:食事に例えてみましょう。
宇宙船内での食事のために開発された宇宙食でも、必要な栄養は摂取できます。けれども、宇宙船内では仕方がないとはいえ、そのような食事で心の楽しさは満たされるでしょうか?
反対に、私たちが家族や友人たちと楽しく食事をする場面はどうでしょう?そこには、美味しい味付け、美しい盛りつけ、心の籠もったサービス、そして楽しい会話があります。栄養価だけではなく、その他の要素が揃って初めて、喜びが生まれます。それは、感情の伴った食事なのです。
音楽を聴く喜びも、同じです。音にも質と感情が伴わなければいけません。そのような音は、熟練の職人の手を経た工程を通して初めて、生み出すことが出来るのです。コンピュータの作る音楽には、30秒間で人の心を打つことは出来ません。
イノベーションはお客様の声から
栗崎:生産過程へのICT導入を考えたことはありますか?
ク氏:以前に試したことがあります。けれども、結果は散々でした。お客様からも不評を買いました。その経験から、オルゴールの音楽は、コンピュータの手に負えないことがよくわかりました。技術は目的達成の手段であっても、技術自体が目的であってはならないのです。
栗崎:リュージュ社にとってイノベーションとは何ですか?
ク氏:お客様の声をよく聞くこと、目と耳を大きく開けて、世の中を見ることに尽きます。イノベーションは、そこから自ずと生まれます。
現代は、技術発達が急速に進む反面、製品やサービスを提供する側の人々が、お客様の声を、充分に聴かなくなっていますね。技術が先走り、技術愛好者はともかく、そうでない大勢の人々のニーズを忘れていると思います。
リュージュ社は150年前に設立された古い会社です。けれども、私たちは伝統に縛られてはいません。これからも、常に新しい時代の要素を取り入れながら、伝統技術に培われたオルゴールに、新しい生命を吹き込み続けて行きたいと思います。
筆者:ありがとうございました。
写真2 iREUGE iPhone充電器を組み込んだ。電話が着信すると、オルゴール音楽が始まる、この優雅さ!
インタビューを終えて、リュージュ社は、人の心に響く音を提供するという使命を、見事に捉えてブレがないと思った。生産工程は伝統技術に支えられているが、ICTを排除してはいない。そこで問われるのは、手作業か、機械化かという二者択一ではない。リュージュ社の使命にとり、最善の技術を選ぶということだ。そう考えると、同社が決して守りの姿勢にないことにも合点がいく。
クッパ-さんは、イノベーションはお客様の声の中にある、という。ここに技術を生かすための、発想の基本があると思った。
伝統技術の生み出す音色を、リュージュ社のサイトから聴くことが出来ます。画面を右にスクロールして曲目リストに行ってください。
掲載稿はこちら→ 2013 欧州ICT社会 読み解き術 第二十回、NTTユニオン機関誌「あけぼの」2013年 10月号に掲載