30年ぶりに戻ったら (141) — コート掛けの無い不思議
【あれだけ、おもてなしの心に篤いのに、なぜ?】
冬になるといつも思うのだ。
東京では人の集まる場所に、なぜコート掛けが無いんだろう?
例えば、レストランやコーヒーショップ、また公民館や学校などにはまずコート掛けが無い。(ところで、公民館は古い言葉で今時はコミュニティセンタと呼ぶのかな?)
人々は、空いた椅子や、またお店の用意したカゴなどにコートを丸めて置いている。
どこでもそうだというわけではないけれど、コート掛けは標準装備ではないと言えるのではないか?
あれだけ、おもてなしの心に篤い日本人に、コート掛けの無い不便さが分からないはずは無いのだが。
不思議だ。
ヨーロッパなら、少なくともわたしの良く知るアルプスの北、つまり冬にコートの必要な気候の地方なら、コート掛けはどこにでもある。レストランの入り口にコートを掛けるスタンドがあったり、学校の廊下にズラリとフックが架かっていることもある。子供たちがそこに厚いコートを掛けておくのだ。
その逆は傘立てだ。
日本なら、人の立ち止まるところに傘立ては必ず置いてある。レストランやコーヒーショップ、公民館等は言うに及ばず、雨の日には個人商店の外側にも小さな傘立てがちょこんと置かれる。
ヨーロッパでわたしは傘立てを見たことが無い。もともと雨量は少ないし、降ってもすぐ止む。そのため傘文化が育たなかったためだろうか?
第一、傘をどこかに立てたまま目を離すなんていうことが考えられない社会でもある。
これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。
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学びのポイント:傘立てに傘を立てておいて誰にもとられないほど安全な日本。コート掛けがあっても良さそうだが?こんな例は他にも無いか、今日はそういう目で周りを見てみよう。
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