電話は過去のメディアと思うなかれ ー 欧州ICT社会読み説き術 (17)
最近の新聞報道によると、パソコンの売り上げが低下する一方で、スマホやタブレットの急成長が著しいという。遂にパソコンがメディアの王座を他に譲る日が来たか。一方で、メディアを取り上げるニュースに、電話はパタリと登場しなくなった。通話する機能しか持たない電話は、過去のメディアになってしまったのだろうか? ところがどうして、私たちは、電話さえもまだ充分に使いこなしていないかもしれない。欧州に暮らしていると、そんなことを、ふと考えることがある。
想定される国際ビジネス像
欧州では、多種の言語、多数の国が隣り合って存在し、人がそのような文化や政治の境目を超えて頻繁に往来するのが日常だ。そういう土地に暮らすと、電話というメディア(=技術)と、それをツールとして使うビジネス(=社会)との間には、まだギャップがあることに、時折気づかされる。そのギャップは、複雑な欧州社会のあり方と、密接に関わっている。
先週、こんなことがあった。
私はコンサルタントとして活動する一方、K社としようで勤務している。K社は外国出張が多く、社員は出張の際にF航空会社をよく利用する。そこで、K社は、F社の企業向けポイントカード、「蒼天ビジネスクラブ」の会員になった。これは、個人向けのマイレージバンクとは別物で、K社全体として、F社を利用する度にポイントがたまる仕組みだ。
私は、(削除あり)フライトデータの入力方法がよく分からなかったので、F社の蒼天ビジネスクラブの担当者に電話で尋ねようと思った。メールよりも、電話の方が速くて正確だと思ったのだ。
ところが、F社のスイス向けウェブサイトには、蒼天ビジネスクラブの入会案内はあっても、問い合わせ電話番号は載っていない。メールアドレスもない。仕方なく、F社の一般的な受付番号に電話してみた。
さすがは、国際航空大手のF社、スイス向け顧客の受付番号でも、独・仏・伊・英語の四ヵ国語から選択できる。多くの企業では、スイス国内向けの電話受付では、大抵は独・仏語はあっても、英・伊語の対応をしない。だから私は、F社の国際センスに感心した。スイスの顧客からの電話だからといって、独・仏語を話す人だけがかけてくるとは限らないのが、国際ビジネスの現実だ。F社は、そこが分かっていると思ったのである。
電話を取ってくれた担当の女性は、滑らかな英語を話す。これも大陸ヨーロッパでは、そうあることではない。
だが、感心したのも、そこまで。多様な言語を持つ人々が国を超えてビジネスを動かす欧州社会と、F社の想定する国際ビジネス像との狭間に自分が落ち込んだことを知るのに、大して時間はかからなかった。それはまるで、アルプスの氷河に口を開けるクレバスのように、底がなかった。
写真 スイスの公衆電話内の緊急電話番号表示。警察、消防などの番号の説明を、独・仏・伊・英語の四通の言語で表示している。
言語の壁
電話受付担当の女性は、スイスには、蒼天ビジネスクラブの問い合わせ(削除あり)電話番号がないと言う。では、と、私は、英語圏かフランス語圏の国で、問い合わせ番号を設けている国はないか尋ねた。そこで言語の壁にぶつかった。彼女が手元のコンピュータで見られるのは、ドイツとオーストリアの番号だけだと言うのだ。私は、ここに、“スイス=ドイツ語”、という、F社データベース設計者の思い込みを感じて、内心ムッとする。しかし、彼女に怒っても仕方ない。
彼女は、私はドイツに国際電話をするほかないけれど、そこでは英語での問い合わせに対応する、と教えてくれた。だが、私は、そうはうまくはいかないだろうと、疑う。
実は、以前、決済サイト、ペイパルを利用した際、ドイツの問い合わせ番号にやむなく国際電話をかけたことがある。ところが、顧客受付電話からは、英語で「こちら(のコンピュータ)では、スイスのお客様の情報は見られません」との回答が…。こんな苦い経験があるのだ。
でも、今回はちょっと違った。私が困っていると、その女性は親切にも、F社本社が所在するフランス用のウェブサイトを見てくれた。そして、フランス国内用の蒼天ビジネスクラブ受付電話番号を探し出したではないか。フランス語なら、私も少々ややこしいことを問い合わせられる。
できる限りのことをしてくれた彼女に、お礼を言って電話を切ろうとして、ふと聞いてみた。「ドイツ語国の電話番号しか見られないということは、あなたは、ドイツにいらっしゃるのですか?」。
「いいえ、チェコです」。
これは、コールセンターの国際アウトソーシングだった。人件費の低いインドなどの外国に、コールセンターを設置する先進国企業のあることを、私も知識として知ってはいた。でもまあ、自分が今、そのお世話になっていたとは。
顧客と企業を繋ぐ重要ツール
電話は、過去のメディアと思うなかれ。コールセンターは顧客と会社を直接繋ぐ重要なビジネスツールだ。
欧州では、多様な言語と国家をまたがる人の移動はビジネスの一部になっている。そういう社会でコールセンターを充分に使いこなすには、そこでのビジネスの現実をよく知っていなければならない。スイスからの電話は、すべて「ドイツ語人」からだ、などという単純な仮定はナンセンスだ。
人と、社会と、技術との間には常にギャップがある。そこを補い、技術を改善し育てていくのが人だと思う。幸い私の場合は、チェコのコールセンターの人が、英・仏・独語の狭間に開いたクレバスに落ちかかった私を救ってくれた。これは、ひとえに彼女の気働きのおかげだ。
このような経験を沢山積んで、欧州のコールセンターはその社会により適したシステムに育っていくだろう。現在、アジアでもビジネスの国際展開が進んでいる。アジアにもまた、多くの言語と国家がある。こういう欧州の経験は、アジアのコールセンターにもきっと役立つに違いない。
掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2013年6月号
掲載稿はこちら→ 2013_あけぼの_ICT_第十七回