私が不法移民の一歩手前までいった話

【なによりも怖かったのはこの国に居続ける法的資格を失うこと、
つまり不法移民になることでした。】

平和に会社員ぐらしを続けて来た私のポストが削られた最初の体験は、2003年秋でした。当時もジュネーブに住んでいました。社内の他の部署を片端から当たりましたが、仕事は見つかりません。

その時に一番怖かったのは何だと思いますか?

失業することではなく、まして暮らしに困ることでもありません。この国に居続ける資格を失うこと、つまり不法移民になることでした。

その当時、私の労働ビザは1年毎に更改するもので、会社がその更新手続きをしていました。その会社がもう私の後ろ盾にならなくなったのです!私の当時持っていたビザは数ヶ月後に失効します。その後は3ヶ月スイスに滞在できますが、それは一時滞在の観光客のような身分です。

そしてその先は?居住する資格がないままスイスに居続ければ、それは不法移民です。

私は必死で仕事を探しました。ビザのない人を雇う会社はまずないので(コストがかかりますから)、当時の会社の中と国連機関の知人を当たりました。国連はスイスでは特別な地位を持っていて、国連で働く人のビザは認められるのです。

自分のその国に住む法的権利が無くなってしまうーー仕事がないよりもそちらの方が恐怖でした。

7ヶ月間必死で仕事を探して年が変わった翌年、幸運にも同じ会社内でポストを得ました。
この経験で、外国に住むためにはなにはなくても労働ビザが必要と骨の髄までわかりました。
今世界中に、外国に住む必要があるのにビザのない人々が何百万人もいます。戦闘地域となった故郷を離れ他国に来た難民と総称される人々です。

11月のスイス発オンラインセミナー 地球市民塾 「世界と関わってきた人たちと話そう」シリーズ第5回では難民を支援する人々に焦点を当てます。

「自宅で難民と暮らすって?ー理解は経験から育つ」
インスピレーショントークはジャーナリスト、エッセイストの長坂道子さん。

ヨーロッパにたどり着いた難民を支援しようと自宅に受け入れるドイツ市民が大勢います。
長坂さんはそんなドイツの人々をインタビューし「難民と生きる」という本に纏めました。

取材を通じて長坂さん御自身も変化したとおっしゃいます。それはどういう変化だったんでしょうか?

私たちも長坂さんとお話ししながら体験してみませんか?

難民は日本人にとってもよその出来事ではありません。私たちはこの課題にどう取り組めばいんでしょう?
ドイツの人々の経験にヒントがあるかも知れません。
よかったら長坂さんの書かれたこちらの本もご覧になってみて下さい。
「難民と生きる」(新日本出版社、2017年3月刊行)

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