30年ぶりに戻ったら (149) — 地震と失業
【足下が揺らぐということ】
2-3日前の深夜、地震があった。
日本に戻って約2年になろうとしている。時たま起きる地震にも慣れた。それが良いか悪いかは分からないが、この国ではそういう神経を持っていないと生きていくのが辛いだろう。
ヨーロッパには地震がなかった。
一回だけだが、一時帰国中に地震があったことがある。
あの時は怖かった。
自分の立っている大地が揺らぐーーこれは恐怖だ。自分はもう何を信じて、何をより所にして立っていれば良いのかわからない。大地を信じられないーー絶対的な恐怖だった。
わたしはヨーロッパに長く住むうちに、日本にいたときに無数に体験した地震のあの感覚を失っていたのだ。
けれども、自分の足下が揺らぐ感覚、何を信じて立っていればいいのかわからなくなるあの感覚は、ヨーロッパでも経験した。それも痛烈なのを。
失業だ。
学校を出て以来、ずっと会社勤めをしてきた。しかも終身雇用制度の信じられる時代に日本で働いてきた。
だからある朝、あなたのポストは無くなったと告げられ、その日の正午には会社の外に出なければならなかったあの体験は、その後長い間トラウマになった。
自分が普通だと思って感謝さえしなかった多くのものが、自分にとってどんなにかけがえの無いものだったか、失って初めて気づいた。
毎朝決まって行くところがあるということ、廊下でヒョウとすれ違う同僚と他愛ない短いお喋りを交わすこと、仕事を終えてオフィスを出る時、「またあしたね!」と言って挨拶できること。
その行くところが無い、その確実な「あした」という日が無い。
地震も失業も、前触れ無くやって来る。
そして今度はCOVID-19。
普通の1日がどんなにかけがえないものだったか、わたしたちは今気づいている。
それでも朝目が覚めると、きょうも良い日だと思う。
外出できなくても、思うように友人たちと会えなくても、自分は今生きている。言葉を交わす人々が周りにいる。
ご飯を美味しく頂ける。
かけがえのない1日が、今日も始まると思うのだ。
これはどちらが良い悪いという話ではありません。世界はこんなもんだということで。

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学びのポイント: たとえあなたがもうダメだ、と思っても人生は続く。そういうものだ。それなら、今あなたの手の内にあるものに感謝して今日という日を暮らそう。
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